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留学体験記

【中国】河北大学留学レポート

【派遣先】河北大学 【留学期間】2018年2月~2019年1月
経済経営学類 S.Tさん


 中国に来てから3ヶ月が経ちました。6月現在の最高気温は40度という、経験したことの無い暑さと戦いながら、瞬く間に過ぎ去ったこの3ヶ月を振り返っていこうと思います。


クラスについて

 授業は大きく分けて初級・中級・高級のクラスがあり、またそこから分岐し計5クラスで編成されています。最初、私は初級クラスに入ることにしたのですが、英語でのレクチャーが多かったため、物足りなさを感じて学期開始直後にクラスを変え、今は中級Aというクラスで授業を受けています。クラスメイトは日本人、韓国人、エチオピア人の計6名という超少数人数のクラスです。
 
 先生が分かりやすく説明してくれるため、今では授業内容の8割ほど聞きとりが出来るようになりましたが、初めの二週間は絶望するほどに聞き取れませんでした。中級Aの授業の9.5割は中国語で解説する為、カタカナで先生の言葉をノートの隅に書き、同じクラスの日本人に泣きついて単語を教えてもらうことで、何とか授業についていくことができました。2人がいなければ、今このクラスにいることは難しかったと本当に思います。時には英語の表現で考えた方が理解しやすいこともあり、英語話者の友達に説明をお願いすることもあるので、英語話者の友達は大変ありがたい存在です。
 中国に来てすぐ中級クラスに飛び込むのは大きなチャレンジでしたが、この選択をしてよかったと今心から思えます。

▲授業後ほぼ毎食お世話になっている学校近くの屋台市場。このごちゃっとしている感じが大好きです

現地大学生との関わり


 留学に来て、一番「まずいな」と感じたのは「現地大学生(中国語を母国語とする学生)」との交流が語学留学だとかなり難しいということです。ありがたいことに河北大学は、外国人学生受け入れの制度が整っています。しかし、整っているからこそ、自分で何かを始めなければ現地大学生との交流は自然には起こりません。海外出身の学生はやはり母国語の発音が残るため、ネイティブとは異なる独自の訛りが出ます。現地大学生との関わりを初期に持つことは必須だと感じていました。
 そう思っていた最中(3月下旬)頃、1人でご飯屋さんに入り、店員さんに出身を聞かれ「日本です」と答えると、別方向から「こんにちは」と声を掛けられました。同じ河北大学の現地学生でした。彼女は日本語専攻ではないものの、日本語を独学で学んでいました。お互いに「母国語の人と話したい!」と思っていたのもあり、そこから授業がない日には一緒にご飯に行って、中国語と日本語を教えあったり、それぞれの幼少期の過ごし方や家族のあり方、就職などについて話しあったり、図書館で勉強したり、北京へ行ったりしました。彼女や彼女の友達を通して、会話の中から互いの国の事情や習慣を知れる時間はとても貴重です。

▲念願のパンダと対面。が、しかし皆お昼寝中でちゃんと観れずにちょっと傷心した直後の一枚。私はこの夏に四川でパンダチャレンジすることを心に誓いました。


PM2.5問題


 河北省は中国トップレベルでPM2.5が高い地域でもあります。私が到着した3月は12月よりも随分と低いものだそうですが、ひどい時には300m先がうっすらと霞むほどに汚染される日もあるのは事実です。日本と中国では危険度の指数設定が違うため、指数だけでなく実際のPM2.5の測定値を見て自分で身を守ることは必須になります。6月現在は3月よりも随分と空気がきれいになり、青空も見えるようになりました。
 この空気汚染に関してルームメイトと問題が生じ、今は自分の健康を守るためにも1人で住んでいますが、後期からはまた他国のルームメイトと暮らす経験をしたいと考えています。


ウイグル自治区への旅行


 6月上旬、寝台列車で片道37時間かけてウイグル自治区へ行きました。車窓から見える景色は都会から段々と砂漠に変わり、町中は漢字だけでなくアラビア文字の表記が増え、人々の会話も中国語だけではなくなり、中国が他民族国家であることを再認識した旅になりました。日本では見ることのできない自然の風景や、人々の暮らし方を、自分の目で見たあの記憶は、きっと忘れることのできないものだと思います。
 中国は先進国のような発展をしている地域がある一方で、発展途上国と同じような地域があり、その二つが隣合わさっている不思議な空間も多くあり、中国という国の面白さがあります。河北大学に来て臨時で受けた中国経済の授業で言われていた、正にその光景を見たのは一種の感動さえも覚えました。

▲どれ程壮大かを伝えるにはもってこいの写真。ここの古代遺跡で静かに佇むと言葉に表せない気持ちになります。

▲旅の帰りにとても仲良くなった電車の乗務員さん。夜中12時までこっそり話したのはとてもいい思い出です。


これから


 中国語の完璧な発音や文法で話すことはできなくとも、コミュニケーションをとること自体を怖がらずにできるようになってきました。今より更に、クラスメイトや現地大学生との交流を、より多くとっていけるように主体的に動いていきたいと思っています。
 この夏はFukushima Ambassadors Programで出会った中国人の友達を訪ねる予定もあり、まだまだ楽しみがたくさんですが、同時に課題も山積みです。この一年間で中国語実践学習の土台だけでなく、中国理解の土台をも築けていけるよう、残りの時間を大切に過ごしていきたいと強く思います。