平日は毎日午前中、留学生同士で中国語の授業に参加するため、クラスの他国の留学生と仲良くなり、友好関係を深めることも多い。この留学生同士の交友関係にも傾向があること見ることもできた。
外国の学生には、普段ずっと留学生寮に引きこもったり、外出したり遊んだりする際も留学生同士だけでという人がとても多い。中には4年間河北大学にいるが、中国人の友達が1人もいないという学生までいた。このような状況にはいくつか理由がある。
1つ目の理由は、中国語能力の問題だ。ネイティブの中国人の会話はスピードが速く、人によっては方言が.混じっていたりする。話すスピードを遅くするようにお願いしても、それでも聞き取れなかったりすることがあり、中国語習いたての外国人からすれば、中国人との交流は敷居が高い。逆に留学生同士なら、お互いがゆっくりとしか中国語を話せないので、会話速度を気にする必要はない。また、中国語の発音が違っていても、クラスメイトならば毎日の授業でその人の発音にも慣れてしまうため、正確な中国語の標準語よりもかえって聞き取りやすいということがあったりする。
2つ目の理由は、英語を流暢に話せる人が多いことだ。中国に留学に来る学生は、母国で外国人向けの観光が盛んであったり、英語を当たり前のように話せる人も多い。そのため、中国語でコミュニケーションを取れなければ英語を使うことができる。むしろ、留学生同士では中国語で会話する人より、英語で会話する人の方が多い。
3つ目の理由は、留学生寮内の交流が活発で、留学生寮自体が留学生にとってのホームのような感覚があることだ。自分の祖国や家族と離れることが寂しく、その代替物として留学生寮を家に、留学生の友人を家族と扱うような感情が芽生える。それに対し中国の学生は客人あるいは他人であり、交流することは減っていってしまう。
以上が、私が考察する留学生と中国の学生の交流が中々増えない理由だ。1年間の留学生活では、外国の学生が中国の学生と関わりをもたないのはむしろ普通だという印象があった。
留学生寮で一つのホームのような感覚があると述べたが、その寮内の学生同士の交流の仕方にも一定の傾向がある。河北大学の概要の(3)留学生寮についてでも説明したが、同じルームシェアをする相手は同じ宗教の人、同国や隣接国の人というのが多い。やはり母国語でコミュニケーションを取れること、価値観が近いというのは大きなポイントになっている。逆に宗教も違い、隣接国でもない人とルームシェアしていた留学生だと、その後喧嘩をして部屋を変えてしまったというケースも少なくない。また、積極的に交流を持つ相手も限られており、留学生全体の交流の密度はそれぞれの国の地理的距離の近さに相関している。一方、これらの傾向にとらわれずに広く留学生同士の交友関係を広げる人もいる。ただし、そのような人は修士や博士の取得で長年河北大学に滞在していて、交流する学生とは長い付き合いのクラスメイトであったりする。
▲中国の友達(左:バトミントン 中央:心理学 右:路上で声をかけられた)
中国では友達の友達はご飯を共にすれば友達である。そのため友好関係の広まりが早い。
交換留学中に交流の輪を広げて、中には素敵な異性と出会いお付き合いする学生もいる。ただ、相手が別の国の人であれば、もちろん恋愛価値観も大きく違ってくる。このことを忘れるととんだトラブルに巻き込まれやすい。この報告書を読んでいる学生向けに注意をしておきたい。
私が交換留学中、別の日本の大学から女性が一人留学に来ていた。その女性にアフリカ系の一人の男性が好意を持ち、アプローチをしていた。この女性にはその気が無かったが、日本人の女性によくあるようにキッパリとお断りすることが出来なかった。この男性のアプローチは激化していき、すれ違いざまにいきなり熱いハグを交わしたり、自分の部屋に呼び寄せたり、強引に彼女の部屋に押しかけようとしたりするようになった。彼女は英語を話せないため、このような時には彼女から私に連絡が来て、代わりにうまく追い返してほしいとお願いされることが数回あった。彼女からは「断りたいけど相手を傷つけたくない」と相談を受けた。しかし「ここは日本ではなく、相手も日本人ではない。しっかりとお断りすることは好意を持ってくれたことへの礼儀だし、それが自分の身を守る手段だよ」としかアドバイスできなかった。
また、自分が他国の学生を好きになってしまった場合、相手が好きな間は相手の欠点などが見えづらくなってしまう。例えば地域によっては交際相手をいくつも持っていい国、不倫や浮気等に抵抗が少ない国も当然あり、それらの国からも河北大学には学生が留学に来ている。日本人同士の恋愛でも価値観の違いでトラブルになるのだから、異国間となればなおさらだ。もちろん他国の異性と交際することは、価値観の違いを見つけて視野を広げ、語学学習にも大変有効である。ただ、相手のことを勘違いして自分を傷つけないように、これだけは注意しておきたい。
こちらは冒頭の前置きでも述べたが、私は留学生活で日中問題に関わることは無いと思う。留学生活の一日のサイクルだと午前に中国語の授業があり、午後のフリーの時間で中国の学生と交流するようになるが、留学生活範囲内で出会える中国の学生は日本語学科の学生か外国人向けの中国語教師を目指す学生だけだ。これらの学生は、日本人の学生に対して抵抗が無い、或いは親日のどちらかなので、日中関係の悪さを感じることは滅多にない。もし、日中関係の影響について知りたいのならば、これらの学生ではなく一般の学生や地元に住んでいる人たちと交流する必要がある。
私は留学期間中、積極的に一般の河北大学の学生や地元の人と交流をこころみて、夏休み中には独自でホームステイをした。これらの経験をもとに、現状の日中関係の影響について考察してみた。
一般の河北大学の学生とは、聴講させていただいた心理学科の授業を通じたり、学生に混ざってバトミントンをしたりなどして交流をはかった。結果として心理学科の授業で2人、バトミントンを通じて2人の友人が出来た。彼らは日本に対して特に好き嫌いもなく、交流する中で趣味の一致や気が合うということで友人になることが出来た。ただ、他にも交流を試みた学生の多くは、私が日本人であることを知ると自然と言葉数も減り、距離を置かれてしまった。これが日本に対して特別ではなく、外国人だから交流しづらかったとも考え、①初期で外国人と伝える→②交流を続ける→③日本人だと明かすという方法で検証もしたが、日本人である情報を教える前後を比べると、やはり交流を避ける傾向が見られた。
現地の人とでは、例えば買い物をする際などは時間的にそこまで長い会話はしないため、日中関係について話しがあがることはない。ただ、ある程度の時間を確保して会話をしていると、やはり日中関係の話題になることがあった。時には安倍首相や日中関係のことで執拗に責められることもあった。現地の人との交流で思い出深かったのは、近くの酒屋を営む店主に誘われて、彼の友人も数人交えてお酒を一緒に飲んだことだ。場には酒場の店主、近くで食堂を営む店主が二人、元軍人の人が一人であった。元軍人の方は酔ってしまったこともあり、喚き散らすような感じで安倍首相や日中関係のことで私を責めてきた。酒場の店主と食堂の店主二人が彼をなだめようとしていたが、その一方で食堂の店主は、声は穏やかながらも「お前は安倍首相を支持しているのか。中国が嫌いなのか。」と聞いてきた。
ホームステイでは、ホームステイ先の友人が日本語学科の学生ということもあり、ホストファミリーから日中関係で責められることは無かった。ただ、友人のおじいちゃんと一緒に夜テレビで放映されている映画が衝撃的だった。日中戦争を題材にしたもので、悪者の極みといった感じの日本軍人が中国女性に乱暴して、住民を虐殺し、中国の青年軍人が立ち上がり、日本軍人を皆殺しにするという内容だ。ホームステイ終了後も、テレビをつけて放映されている映画を確認したが、この手の映画ばかりであった。
これらの交流を総合して、日中関係は現状表立った影響は少ないが、その根は深く、非常にシビアな問題だと考えた。今回の交流では、会話の中でこちらから日中関係について話題をふることは一切しなかった。理由は、もし現状の日中関係についてさほど問題視していなければ、こちらから話題を振らない限り、日中関係の話になることは無いと考えたからだ。だが、交流をしていくとやはり日中関係の話題は出てきた。そんな中でも嬉しかったことは、交流した中国人の人から私と交流して日本人に対するイメージが変わったと言ってくれた人が多かったことだ。彼らが言うには、それまでの日本人のイメージというと、学校で教わったこと、ニュースや映画で出てくる日本人の影響が強かったという。実生活で日本人と交流するなんてことはまず無いため、生の日本人を知ることが出来なかったということだった。保定市に.も日本人が住んでいるが、やはりその人口は小さい。こんな状況だからなおさら、頼れる情報源は学校の知識やメディアに制限され、日本人に対して悪いイメージを持ちやすいというのもうなずけた。
日中関係の悪影響を受けるのは私たち若い世代であり、日中関係を解決していくのも私たちだ。中国の若い世代でも、今の日中関係を改善したいとと思っている人も少なくない。留学中に西安に一人旅をしたことがあり、通りで店を出していた20代の1人の画家に出会った。せっかくだと思い、私が彼に一枚絵を注文し、彼が絵を描きおわるまで、二人で日中関係について話しながらも、改善のためには個人としてどのように取り組むことができるかを話しあった。
二人で出した結論は、「日本人」や「中国人」といった総括的な表現をやめて、「ある日本人」や「ある中国人」といった一部の人を指す言い方に変えようということだった。
私たちが考えた個人レベルでの日中関係の悪さの原因は、日常でお互いの国の一般人が交流することが無いからだ。そのため政府と個人の考えが違うこと、同じ国民同士でも考えが違うことを忘れてしまい、教育やメディアから学んだ相手国のイメージをそのまま相手の国民の全員のイメージにあてつけてしまう。この一方的なあてつけは、当人からしたら非常に失礼なことで、そこでまた反感が生まれてしまう。たとえ日中関係が悪くても、それは政府同士の問題だと割り切り、個人としてお互いが付き合うことが必要だと考えた。
個人を尊重するという考えがどれほど大事かと実感した経験がもう1つある。(2)で酒場の店主らとお酒を飲んだという話をしたが、そこで彼らは「河北大学の留学生全員が嫌いだ」と言っていた。その理由を聞いてみると、店主ら地元の人は保定市の方言を使って会話するが、留学生はこの方言が聞き取れないため交流ができない。また、留学生たちが中国語の普通語を勉強しているため、地元民が方言で話し始めると侮蔑するような態度をとることもあったという。そして彼らは授業の中、学校の中、観光地の中国だけを見て、帰国すれば中国がどのような国であったかを語るという。留学生は、現地の中国人を知らないし、私たちの考え、声を国外に届けてくれないと語っていた。こういう背景もあってか、お酒を交わす中で場が荒れることもあったが、最後には自分たちの話を聞いてくれてありがとうと非常に感謝された。
地元の人と交流する中で、日中関係で責められることもあった。しかし、「お前は中国が嫌いなのか」という発言にあるように、それらの根本にあるのは日本人が何を考えているのか分からないということだ。このように言われたとき、「本当に中国が嫌いだったら、わざわざここまで留学に来ないよ」と私が返すと、ホッとした表情をしてくれた。日中関係で非難されるとき、2つの種類があり、1つは一方的にはねつけられて取り付く島のないときと、もう1つは強く非難しながらもこちらの考えを聞いてくれるものだ。後者の場合、相手が私たちを日本人としてではなく、個人として扱ってくれている。この時は、可能ならばその会話に付き合ってあげたい。もしそこで逃げてしまえば、私たちの個人の意見と言うのは、いともたやすく"日本人"というあてつけの岩盤に埋もれてしまうからだ。