2015年1月から2015年12月の期間、アメリカのコロラド州フォートコリンズ市にあるコロラド州立大学(以下CSU)にて福島大学を代表し、1年間の交換留学へと行かせていただいた。
この一年間を通して、とても楽しい毎日が変化に富んだ充実した日々を過ごすことができ、大きな事故や怪我等に見舞われることなく帰国をすることができた。しかし、日本での日常とは大きくかけ離れたアメリカで1年を過ごす中で苦労が多々あったのも事実だ。
これから英語圏を希望する学生たちに向けて、わたしが現地で過ごしていてとても驚いたこと3つを挙げながら、tipsや知っておくべきことについて報告をしていく。
まず、一つの授業における課題、勉強量の量だ。例を挙げると、小テストが8回、レポートが2回、中間テストが二回、期末試験、加えて日々の予習を兼ねたリーディングだ。リーディングに関しては、私は後期5、6つの授業を履修していたため毎日約50ページ以上のテキストを読まなければならなかった。
リーディングを学生全員がしっかりとしてきて講義をする内容が事前にある程度理解していることが前提でどの授業も進むため、リーディングがもともと得意ではなかった私はネイティブのクラスメートや教授に積極的に授業開始前に質問をしたり、授業の隙間時間もフルに活用して読解の遅い部分をカバーするようにしたりしていた。この英文読解や速読の部分を留学前からガンガンやっていかないと、文系の学生は現地に来てから苦労する、といっても過言ではない。
レポートに関しては、CSUの図書館に付属しているライティングセンターに通うことをおすすめする。この様々な様式のレポートを添削してくれるライティングセンターはアメリカの大学であればどこにもあるはずだ。
私もレポートを提出するまでに最低2回はここへ予約を入れて通い、添削をしてもらった。抽象的なトピックでレポートを課され、何を書けばよいのかと迷っている時、書き出す前段階のブレインストーミングでも、ジャーナリズムやコミュニケーション専攻の学生らがしっかりとしたアドバイスをくれる。一回の時間が30分であるため、質問内容と添削してもらいたい部分をクリアにしてから行くと短い時間でも有効に使えることができ、自分のレポートを客観的に見てもらうことでより良いものに仕上げることができた。
次にCSUで驚いたことは、個人主義の社会が大学においても出来上がっているということだ。それを一番に感じたのは、International Securityという3,4年生向けの難易度の高い授業を履修していたときだ。前期にこの授業のベースとなる授業を履修してから臨んだものの、求められる基礎知識や語彙力のレベルが高く、国際政治や安全保障について真剣に向き合っているハイレベルなクラスメートとの全体ディスカッションのなかで自分の考えを主張することもとても難しく、英語力もままならない私では正直ついていくことができないと思った。
そこで、その講義の教授に相談したところ、教授とクラスメートをもっと頼って利用して必死についていってみるべきだとアドバイスを受けた。そしてわたしは、予習のリーディングや試験勉強を他のクラスメートと行うことができればと、教授に頼み匿名でクラス全体にグループスタディに参加してくれる人を探してもらうことにした。しかし、誰一人として手を挙げる学生はいなかった。アルバイトをしながら自分自身で学費を支払っている多忙な学生も多いこともあり、自分の勉強は基本的に自分自身で進める、という学習スタンスをこの授業だけではなく、他のほとんどの授業でも見受けられた。授業中にディスカッションで意見をうまく伝えることができずにいても、特別フォローをしてくれる学生も一人もいなかった。日本人留学生だから少しは配慮してくれるだろう、と期待するべきではなく、また積極的に友達やクラスメートとの勉強は日本のようには行われにくいと考えていたほうが良いだろう。
最終的に私は、些細な疑問や授業や課題に関して不安な点があった場合には、すぐに担当教授にアポイントメントをとり、自分で解決する努力をした。「個人がよければ良いのだ」という考え方は勿論大学の外でもみられ、公共マナーを守っていなくても多くの人が「これがアメリカさ」「アメリカ人だからね!」と片付けて容認していた。「他人がどう言おうが自分には関係ない」という発想がアメリカの人々の枠にとらわれることのない自由な生き方につながってもいるのだな、と感じた。
最後に私が驚いたことは、CSUや私がアメリカ滞在中に訪れた各州においても、日本と比べ国際色がとても豊かであるということだ。肌の色はもちろん、それぞれの第一言語も異なる人々がどこを歩いても同じ空間にいるというのはとても新鮮でもあった。CSUは、割合的には白人のアメリカ国籍の学生がほとんどの割合を占めているが、サウジアラビアやオマーン、中国からの留学生は数千人規模もいた上に少数ではあるが、日本やイラク、スペインから学びにきている学生もいた。アメリカで育った学生の多くも、彼らの両親や祖父母が外国にルーツがあってそれの影響を強く受け継いでいたり、国際的な環境を生かして数カ国の言語を学習したりしていた。
また、グローバルヴィレッジという留学生が集う寮に春学期滞在していた私は、毎日世界各国からの学生と生活をし、多様な文化や習慣を彼らとの交流を通して学ぶことができた。日本からの学生は毎年15人以下でマイノリティであったが、だからといって学内で特別扱いされることや差別を受けることはなかった。1つの大学で過ごすなかで、自分がそれまで知りうることのなかった世界の広さを感じ、また日本人として自分が持っているものや日本の魅力を、ワールドユニティフェア(数十か国からの学生を中心が各国の伝統料理や文化を学内外の多くの人々に発信する、年に一度のビッグイベント)等で、バックグラウンドの異なる多くの人々に語り様々な反応を得ることが出来てとても楽しかった。
一科目分の単位を得るための圧倒的な学習量とその水準の違いや、アメリカの学生の学習に対する姿勢の違い、国際色の豊かさなど日本と全く異なる環境での学習経験は、留学以前の自分の価値観を大きく変え、視野も広がった。コロラド州立大学での1年間の交換留学を振り返って思うのは、高いレベルの学習環境のなかチャレンジしていくのは厳しく辛いと感じたときもあったが、そのなかでも多くの優しい友人や教授、クラスメートに支えられたおかげで、毎日が楽しい充実した忘れがたい1年だった。
この交換留学は、私にとって大学生活の中でかけがえのない経験になり、英語力の向上とアメリカの文化を知るのみではなく、今後の学習の道筋や就職を考える上で自分が将来どうあるべきか、を見つけることが出来た機会となった。今後、私のように、より多くの自分の可能性をアメリカでぜひ試したいという意欲的な福島大学の学生が、このロッキー山脈をはじめとする大自然に囲まれ、ハイスタンダードな学習環境が整っているコロラド州立大学でぜひとも留学してほしいと思う。
↑アラビア語のクラスメートと先生と外で授業をしたときに学内で撮った一枚。
少人数のクラスで先生がフランクであると、学生の要望で外で授業しようとなることが何回かあった。
↑(写真左)Globalvillageと呼ばれる世界中からの留学生が集まる寮内での写真。国旗の数と同じ数の国から留学生が集って生活している。一階の共用スペースではビリヤードやテレビゲームなどを同じ寮の友人と楽しむことができる。
(写 真中央・右)私が住んでいた寮に隣接するダイニングホールでの一枚。毎月、毎週それぞれのダイニングホールでイベントが企画されてお り、この回はスターウォーズがテーマでとてもリアルなキャラクターたちと触れ合え、スターウォーズをテーマとしたご飯が食べることができた。右の写真が そのときに振舞われたお肉。
↑(写真左)大学のフットボールスタジアムでゲームを観戦する前に、すでに訪れていたRamと撮った一枚。アメリカでは動物のマスコットが各大学で決おり、CSUではそれがRamだった。学生はそれにちなんで、CSUの学生たちイコールRamsと呼んでいた。
(写 真右)レックセンターのなかにあるボルダリング、ロッククライミング用の施設。学生は無料で靴をレンタルし、利用することができる。