2015年3月から、2016年1月まで、中国・上海にある華東師範大学に交換留学をした。留学前は、外国に行ってみたいという気持ちはあったものの、実際の外国がどのようなものかのイメージがついていなかった。
また、中国については、日本に近い国でありながら、どのような国であるかを把握できずにいた。「中国に留学に行く」と告げると、ほぼ全員が「中国って危険じゃないの?」と尋ねる。当時の私は、そんなことはない、と思いながらも、それをはっきり言うことができなかった。
上海に行き、まず思ったことは、楽しそうなものがたくさんある、ということだ。しかし当初、私は中国語をほとんど話せずにいたので、楽しそうなことをできるようになるには一体どれだけかかるのだろうか、と思っていた。
一年を通して私が目標としていたことは、「積極的に物事に取り組む」ということである。せっかく自分の意思で留学をしているのだから。やり残したことがあっては勿体無いと考えていた。
前期は、同い年の中国人の友達を作り、毎週のように遊びに行き、後期は、上海にある日本人のための図書館でボランティアをし、日本にいる日本人とは違う生活をしている日本人と交流をした。全体を通して、上海は日本よりも自由な雰囲気があった。周りに日本人が多くなかったこともあってか、私自身もイエス・ノーを言えていたように感じる。
学習面は、クラスメイトと仲良くなることにより、勉強を頑張ろうという気持ちになれた。一人で勉強をするよりも、友人と相互学習をすることで、中国語をたくさん話すことができ、また、もっとたくさん話したい、と思えた。
3月4月は、完璧な文法で、完璧な発音をしなければいけないという固定観念があり、話す前に必ず辞書で言葉を調べていた。しかし、完璧にすることよりも、相手とのリズムを大切にして、知っている言葉を使って話すことのほうが大切だということに気が付いた。
自分のことを話せるようになってからは、友人が増え、毎日の授業が楽しくなっていったように感じる。
私は口语(スピーキング)が苦手だったため、休み時間は先生に積極的に話しかけ、また、やはり言葉を知らないことには話せないため、自分が話したい内容を文字に書き、添削を受けることで覚えていった。
中国語は拼音がとても重要なので、話すスピードが多少遅くても、正しい発音になるように、常に気を付けていた。
生活面では、友人と旅行に行ったり、一人で出かけてみたりと、たくさんの経験が出来るようにしていた。前期の夏には、クラスメイトと青岛という町に、新幹線で何時間もかけて行った。所が変われば文化も違うため、上海では経験できないことを体験できた。
また、外に出てしまえば、基本的に日本語は通じないため、口语の勉強になったと感じる。
3月は店でものを頼む時も指差しで、言葉を発することが出来なかったが、時間が経つにつれ、声を使ってものを頼むことや、店の人と世間話をすることが出来るようになった。
相手は、私が日本人だと分かると話すペースを遅くしてくれたり、途中に筆談を交えてくれたりと、優しい人が多かったように感じた。私が日本で外国人と話すときも同じようにしようと思った。
日本にいないからこそ、自分のことを日本人だと強く自覚することが多かった。同じ国の人が多いと、どうしても他力本願になるところがあるため、自分というものを自覚して、これからの生活を送っていきたい。
今、「中国って危険な国じゃないの?」と尋ねられたら、私は「どこの国にも危ないことや危険なことはある。日本も中国も変わらない」と答えるだろう。
実際私が上海にいて危険な思いをしたことはほとんどない。危険そうなところに近づかないことや、危なそうなことをしなければ、危険な目に遭うことはそうないと思う。それを、自分の偏見で「中国は危ないところだ」と考えることのほうが、視野が狭くて危険なのではないかと考える。
この留学を通して、世界をフラットな視線で見ることが出来るようになったと思う。これは、自分がずっと日本にだけいたら、出来なかったことのように感じる。そして、今回学んだことや感じたことを、今後の自分の生活に生かしていきたい。