私は2017年2月から12月まで、ベラルーシ国立大学で充実した留学生活を体験させていただきました。ほぼ一年間の留学期間は短くはないと思っていましたが、一瞬の間に終わってしまったと感じています。
自分の力不足を感じ、この10ヵ月間の勉強はロシア語の語学に専念することにしました。そして講義以外の個人時間を利用し、ベラルーシの首都ミンスクとそのまわりの都市に行き、ベラルーシという国について、いろいろ知ることができました。この最終レポートで、私が体験したベラルーシ、ベラルーシ大学での留学生活を紹介し、感想をまとめたいと思います。
留学前に「行き先はベラルーシ」と言ったら、ほとんどの友達はイメージのつかない顔で「はい?」と私を見つめ、確認しようとしました。そうです、ベラルーシはよく耳にする大国ではないのです。
東ヨーロッパにあるベラルーシは、EUに参加しておらず、デリケートな国際問題にも加わることがないため、広く皆に知られていないと言えます。よく冗談で「ヨーロッパの知られざる国」だと言われています。私は留学に行く前、この国について「人々が短気で気が強い」というイメージしか持っていませんでしたが、実際ベラルーシに住み、自分の目や耳で確かめてからは、この国のイメージが根本から変わりました。自分で調べた資料と違うところも少なくありません。他の国についてきちんと理解しようとせず、イメージで判断してしまったことをとても恥ずかしく思いました。
ベラルーシの国民は、とても純粋で、親切です。ベラルーシの方々はアジア系の私達外国人に対して、恐れることなく、冷たくせず、外人扱いせずに接してくれました。話かけたときには、とても熱心に助けようとしてくれますし、積極的に話かけてくれることもあります。ストレートで強いイメージをしていましたが、実際はとても優しくて、譲り合いの精神と強い結束を持った、他人を思いやる国民でした。
前のレポートで紹介したように、ベラルーシの首都ミンスクの交通はとても便利で、列車、地下鉄、バスなど様々な交通手段を選べます。しかし、都心地から離れて郊外に行く場合は、いささか不便も感じます。なぜかというと、ほとんどの国民は車を持ってるため、バスの本数が少なく、都心地から郊外に行くバスは一日四本しかありません。乗る時間に間に合わないと、大変なことになる可能性もあります。
ベラルーシの気候は日本と違います。夏は晴れますが、降水量が多く、いきなり雨や雹が降り始めてすぐ止むことが多いです。冬はほぼ毎日曇りで、日本よりも寒いです。また大きく違うところは、日の出と日の入りの時間です。ベラルーシの夏はとても長くて、日の出は朝4時頃で、夜8時になってもかなり明るいのに対し、冬の日の出は朝の8時~10時頃のため、8時でもまだ深夜のような暗さでした。そのため、朝起きるのがとても大変でなかなか慣れることが出来ませんでした。
ベラルーシにいる10ヶ月の間、私は様々な体験をしました。何より驚き、印象に残っているのが、ベラルーシの文化と人々の文化に対する態度です。ベラルーシは発展途上国で、物価はとても安いとはいえませんが、ソ連時代から継承されている文化への誇りが高く、芸術的な雰囲気が街や国全体に満ちています。
美術館、博物館、劇場、教会、サーカス団の建物までもが素敵で美しいです。幼稚園児や小学生たちの学習見学から社会人の休暇まで、ほとんどの世代が精神的な享受を求め、芸術を見る目と心を育てることを大切にしています。
ソビエト時代よりはるかに古いスラヴ人の文化は博物館に並び、その文明を語っています。同じく発展途上国である私の出身国では、「物質はすべての基本であるから、何より優先に考える。芸術など精神的ものは金持ちのものである」と考える人は少なくない。私自身もそう思ってしまうようになったため、このようなベラルーシの文化に対する姿勢を目の当たりにし驚いたとともに、非常に素晴らしいことだと感銘をうけました。
ベラルーシの食事は、基本的にパンやお米を主食とし、多種類のサラダ、揚げ物などが選べます。日本人でもすぐに慣れることができると思いますが、一部の食材については慣れるまで、もしかしたらお腹の調子を崩すことがあるかもしれません。
食堂で食べることが出来る品は限られていますが、スーパーで食べ物を買ったり、寮で自炊したりできるのでとても便利です、物価は日本と比べるととても安くて、一食当たり300円以内で良い食事をとることができます。
学生寮はそれぞれ違う場所にあるのですが、どこも近くに大きいスーパーがありますので、買い物はとても便利です。日本の調味料や食べ物も手に入れることが可能ですが、そのためには交通機関を利用し、市場の日本物産商店に行く必要があります。
ベラルーシ国立大学で過ごした10ヶ月間、私はロシア語の勉強に専念していました。
語学クラスは3つあり、私はこの3つのクラスをそれぞれ体験をしたました。「成人の第三言語習得」と「外国語を学習する際、言語環境の影響はあるか否か」は私にとって主要な課題で、自分を対象として記録をしてみました。ロシア語はとても難しく、私はこの言語をうまく身につけた、とはまだ言えません。しかし、この貴重な経験はこれから私の学習、学校生活にとても役に立つことと思います。
語学の授業以外にも、ミンスクの市内の博物館、美術館、工場見学など施設を訪れることがありました。そのようなとき担当の先生は事前にプリントを配り、重要な部分を説明してくださいますので、見学するとき、理解できないことがあったとしても、何も分からないまま終わるとはないです。
また、ベラルーシの方だけでなく、他の国の出身者でロシア語を勉強している学生との交流もたくさんできました。一番嬉しく思ったことは、私が「福島から来た」というと、相手が今の現状を知りたいと言ってくれたことです。今、福島が受けている風評被害は他の国にあるのかどうか、他の国はどのような報道をしているか、ということを知ることもできました。
私が自分の目で見てきた「現在の福島」を伝えることは、私が留学する際の目標の一つでした。まだまだ本当の現状の知らない人はたくさんいますが、ベラルーシで出会った友人たちは、正しい情報を自分の国の人に伝え、広め、たくさんの人に正しい福島を知っていただくために働きかけてくれることを信じています。そしてその人達がいつか福島に来てくれれば嬉しく思います。
約1年間の留学生活は、本当にあっという間に終わりました。本当にとても貴重で、かけがえのない経験だと思っています。福島大学の学生として交換留学し、他の国の人々と交流したことは、私にとっての新しい道と更なる成長の始まりです。また、たくさん友達が出来たので様々な国の文化、考え方を理解することができました。この理解を深めれば、これからの日本のグローバル社会で必ず役に立てると思います。
まだまだロシア語の語学力は低く、しっかり身についてはいませんが、今後もロシア語を勉強しながら、ベラルーシとの交流を日本で続けていきたいと思います。そしてこれからの大学生活で、今回の留学からいただいた経験と知識を役に立てればと思っています。