12月に日本に帰国してから吐く息が白くなるたびに、オーストラリアの痛いくらいの日差しさえ恋しく思ってしまいます。昨年の2月5日に日本を出国して、期待と不安が入り混じった気持ちで、ブリスベン空港から以前お世話になったホストファミリーの家に向かったのを覚えています。ホストファミリーの家に着くやいなや、愛犬「Boss」が僕のことをまだ覚えていた様子で、何度も吠えて出迎えてくれ、帰ってきた実感が湧いて不安が少し和らぎました。
今回の留学では英語力の向上はもちろんですが、それよりも福島大学では詳しく学べないような細胞生物学や神経科学をより専門的に学ぶということが大きな目標でした。履修したコースは前期後期合わせて7科目でしたが、どの科目もレクチャー(1時間×週3コマ)+実験(3時間)+チュートリルという構成内容で、1日1日が本当に慌ただしく過ぎていきました。それでも生活は充実しており、バイオインフォマティクスの授業では基本的な遺伝子の構造からBLASTやEnsemblといった遺伝子・タンパク質データベース、代謝経路のデータベースであるKEGG Pathway の使い方などを教わりました。またタンパク質を解析する授業では、実際に異なる培地で培養したグラム陰性桿状細菌のタンパク質をLC-MS/MSで解析し、発現しているタンパク質と機能している代謝経路を予測し、培地を予想する実験などもしました。これらの知識はこれからの研究活動にも大きな影響を与えてくれると考えています。
学生生活のなかで印象深かったことが2つあります。ひとつは神経科学の授業の一環で行った実験中に共焦点レーザー走査型顕微鏡を使った実験で、実際に解剖したカエルの筋肉でアセチルコリンとコリン作動性受容体を免疫染色して3D画像にしたことです。この顕微鏡はレーザー光を様々な方向に当ててサンプルの平面を異なる深度で撮影し、画像を重ね合わせて3D画像を再構築できる代物です。僕が今まで顕微鏡で見ることができたのは平面的な画像のみで、3Dの画像、しかも分子レベルのものを捉えたものは今まで見たことがありませんでした。そのため、ソフトウェアを通じて得られた2次元画像を3Dイメージに変換し、アセチルコリンとコリン性受容体が筋線維の神経終末で見事にオーバーラップしている画像を見たときは感無量で、いつかこのような顕微鏡を扱えるような研究に携わりたいと思うようになりました。
ふたつ目はプレゼンテーション中の出来事についてです。薬理学の授業の一環で行った実験のまとめを班で行うとなった際に、ひとりに割り当てられる時間は3分くらいのため、発表は原稿なしで行うということになりました。発表の前に十分練習はしたつもりでしたが、いざ先生とチューターを目の前にして自分のスライドが来ると、途端に頭の中は真っ白になってしまい、数秒間沈黙が流れました。頭の中ではなにか言わなきゃと考えているのですが、どうしても言葉が全く思い浮かびません。心の中では「日本語だったら説明できるのに」と考えてしまい、もう少しで泣き出してしまいそうでした。その時、チューターが「Relax」と一声かけてくれ、その言葉が魔法のように効いて、言葉がなぜか自然と出てくるようになりました。これは恐らく発表中に他の班員の発表を聴いて、こんなにうまくしゃべれるわけがない、時間をオーバーしたらどうしようといったことを考え過ぎた結果なのではないかと考えています。ある意味、なにか物事があるとネガティヴに考えてしまう、僕にとって象徴的な出来事のように感じました。しかし実際はなんとかなるものであって、この出来事を期に、短めのプレゼンテーションならなるべく原稿なしで挑戦することを決めました。また、これは何より自分自身のことを信じるということがとても大切だということを、改めて痛感させられる出来事でした。
勉学の面では非常に有意義な大学生活を送れたのではないかなと感じております。一方、大学以外の課外生活でも、友達とゴールドコーストやメルボルン、タスマニアなどのオーストラリアの各都市を旅行したり、UQ wasabiの会員として現地の日本語や文化に興味がある学生と積極的に交流したりして過ごしました。今回の交換留学では一昨年のプログラムで行くことができなったところを訪れるのもひとつの目標で、特に一人で旅をしたウルルでは、筆舌に尽くしがたい程きれいな星空を拝むことができ、一生の思い出となりました。さらに、タスマニアやノースストラドブローク島での旅行では野生のハリモグラやワラビー、ウォンバットにコアラといったオーストラリア固有の動物にたくさん会うことができ、改めてオーストラリアの独特な生態系を目の当たりにするとともに、自然保護の重要性を認識しました。また、タスマニアのポートアーサーという地域は凶悪犯が収容された監獄があった場所であるとともに、1996年の銃乱射事件が起きた場所で、それ以来オーストラリアの銃規制が強まった経緯があるとても歴史のある場所です。そこで直にオーストラリアの歴史について触れることができたのもいい経験になりました。