私の留学はコロナウイルスの影響で当初より予定を早めての帰国となってしまいましたが、これまでに経験したドイツでの生活、その他の思い出を紹介していきたいと思います。半年の期間ではありましたが、十分内容の濃い日々を送れたのではないかと思っています。
前回ビザがなかなか取れないと記載しましたが、1月にもなると全員がビザを所得し合法的に滞在をすることが出来るようになりました。ただし申請するときに使う書類は、移民局の担当の人によって異なる場合があるため今後ドイツのビザを取る予定の方は十分調べてから申請に臨むようにしたほうが良いと思います。(書類に不備があると追い返されてしまいます)
皆さん生活する上で気になるのはやはり費用だと思います。私は基本的に自炊をしているため、食費に関してはあまり多くかからず、月80ユーロほどでした。私は生活費を節約して趣味の旅行に充てていたため、普通の人はもう少し生活費がかかるのではないかと思います。私の住んでいた町では基本的に皆さんドイツ語しか話さず、ベルリンなどの都市部とは違い、明らかに外国人の見た目の私にもドイツ語で話しかけてきます。しかしこちらから「英語でお願いします」と言えば、多少嫌な顔をされますが大抵の人は対応してくれるため、ドイツ語がわからない状態でも特に問題なく生活を送れると思います。もちろんドイツ語が出来る人は現地の人と積極的に交流できると思います。ただし私の通っていた大学はドイツ語を学ぶ機会があまり多くないため、ドイツ語を上達させたいと思っている方は、実践で鍛えるか、ほかの大学を選んだほうがいいと思います。
▲クリスマスマーケットの帰りに出会ったドイツ人の元気な方々と。一番ドイツ語で会話しようと努力した時でした。
私は大学が用意したシェアルームの寮に住んでいました。その他にも一人部屋の寮もありますが、特に家賃が変わらないので「共同生活はいやだ!」との考えをお持ちの方は一人部屋の寮を選択するといいのではないかと思います。やはり共同生活となるとトラブルが起きる部屋もあります。一番印象に残った事例は私の部屋ではないですが、カビを生やすことが得意なルームメートがいたことです。ある意味才能だと思いました。しかし費用面で二人部屋の寮のほうが最終的には安く済むため、リスクと費用を天秤にかけて選んでください。ちなみに私が感じたはずれを引く確率は8分の1くらいでした。
私の学校はクリスマス前に全部の授業が終わり、一月にテストがあるスケジュールでした。授業も日本の大学と同じように単位が取りやすい授業、難しい授業があるので事前に情報収集をおこなうことをおすすめします。大学の講義は全体的に福島大学の授業より単位を取るのが難しかった印象があります。ちなみに私が学ぶキャンパスはメインのキャンパスで、福島大学に留学生として来ている人が学ぶキャンパスは違います。彼らは東アジアセンターという建物で学ぶため学校で一緒になることは無いと思います。ですがこちらから東アジアセンターの授業にお邪魔することは担当の先生の許可を取れば可能で、私は日本語の授業と日本の歴史の授業に参加していました。
▲ドイツ語のクラスと日本語のクラス
半年間の間にドイツではオクトーバーフェスト(私はアルコールが飲めないので行きませんでした)、クリスマスマーケット(毎週末どこかの都市に行きました)、カーニバルなどの代表的な行事がありました。そしてこれら以外にも趣味の海外旅行をしていました。私はこの半年の間に20か国ほどに行きました。ちなみに私が訪れた国で一番印象が良かったのはスロベニアです。ヨーロッパの大学に留学したいがどこの国に行くか悩んでいる人はぜひスロベニアも候補の一つとして挙げてみてください。(ドイツも良いけどスロベニアもおすすめです。非常に私が生活してみたい場所だと感じました)
私の住んでいた町は近くに大きなバスターミナルがあり気軽に旅行に行けます。またフランクフルト空港も電車で30分ほどの距離のため、「学業もいいけど旅行もしたい!」という人には非常におすすめの場所だと思います。私はこの旅行で戦争と人権を主なテーマに普段なかなか行けない場所に足を運びました。そして旅行先で今まで知り合った人達と数多く再会する機会がありました。そこで現地のガイドをしてもらったり、色々助けてもらったりと、今まで国際交流活動をしていて改めて良かったと思えたことがありました。
▲旅先で再会した人との写真(トルコ、ルーマニア、ドイツ、スコットランド、セルビア)再開した人は他にもいますが、写真撮るのを忘れていました。
私がドイツにいた三月にちょうどヨーロッパで感染爆発が起き私の住んでいた州、近隣の州でも一日の感染者数がかなりのペースで上がり続けていました。ヨーロッパに住んでいた身からすると当初この病気はアジアの病気でヨーロッパには関係ないだろうと楽観視していました。しかしヨーロッパでの感染拡大のペースはすさまじく、移動制限も次々と発令され、つい先日まで自由に旅行出来ていたとは考えられないほどでした。この刻々と変化する情報を取得することはやはり言葉の壁もあり困難でした。外国で災害が起きた時に情報弱者になる経験を身をもって体感したため、日本で災害が起きた時に外国人への情報発信の重要さを実感しました。
▲3月20日のドイツのスーパーマーケット(入場制限が行われているとともに、レジに並ぶ際に赤い線上に並び前の人との間隔を取る対策がされています。日本に帰国した時、このような感染対策が全くとられていないことに驚いた記憶があります)
私はこの半年間を通して多くの人に会い、多様な価値観に触れられたことが一番の収穫です。この出会いは決して日本にいては経験できないもので、一歩踏み出して海外に出たことで得たものだと思っています。今はコロナウイルスで海外渡航をするムードではありませんが、皆さんも一度は海外に出て新しい経験をしてみるのもいいのではないかと今までの経験から感じました。
▲ルードヴィヒスハーフェンではなく
隣町マンハイムのクリスマスマーケット
(前回書いたように残念ながらルードヴィヒスハーフェンには
これといった名物はありません)
▲苦労して訪れたパレスチナ人の難民キャンプ
(イスラエル パレスチナ自治区 ヘブロン)
▲一番印象が良かったスロベニアの首都リュブリャナ
(治安、食事、物価面でかなり良い国なので
ヨーロッパに行く機会があればぜひ訪れてみてください)