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留学体験記

【中国】最終レポート

【派遣先】河北大学 【留学期間】2019年9月~2020年1月
行政政策学類3年 小貫 和音

 

突然の留学終了

私は、「成人式だから一時帰国するか」と1月に日本に帰ってきました。その間、日本の友人達とひさびさに会って話したりして冬休みを楽しんでいました。新型コロナウイルスが騒がれ始めた頃は今のように大事になるとは思っておらず、中国は人口が多いから流行しているように見えているだけで、割合で言ったらそんなに大事ではないだろうな、なんとかなるだろうと考えていました。

しかし2月になってみると新型コロナウイルスが世界的に問題となりニュースを見るたび感染者数が増え、東京にも感染者が現れたので、私は戻れるだろうかと不安になりました。同級生と毎日戻るか否かの話をしていました。

大学からは何も連絡が無いのと、私の留学している河北大学のある保定市ではそれほど感染者が出ているわけではなく、すぐ隣に大学病院があるため、中国へ戻る用意を始めた頃、ルームメイトから「今私は自分の部屋から出ることを禁止されている。小貫は帰ってこない方がいい。」というメッセージが届きました。これを見たときに新型コロナウイルスの脅威を感じました。なぜなら私たちは留学生寮で中国人の生徒とは別の場所に寝泊まりしています。中国人の生徒の学生寮は1部屋8人ですが、留学生寮は1部屋2人なので、大学内でも感染リスクが最も低い場所であると言えます。そんな学生寮の中も歩いてはいけない、自分のベットから外に出る扉まで四歩で行けるような部屋から出ることは出来ない状況だというのです。

このことから新学期は2月26日から始まる予定でしたが開始は延びるだろうと予想し、当初の予定の飛行機をキャンセルし落ち着くまでは日本に居ることを決めました。

結果として状況は良くなることはありませんでした。留学先の日本の同級生から「食べ物は部屋ごとの配給制になり大学には部外者は入ることは出来ない状況で隔離されている。いつ終わるかも分からない。帰ってきても大学構内には入れるかも怪しい。」という連絡が送られてきました。クラスチャットでも韓国の同級生が留学をやめること、新学期はしばらく始まらないこと、先生方も似たような状況であることを知りました。そして次々に母国へ帰国する生徒が現れました。

そこで私は2月末に留学を続行するか否か大学に相談することにしました。

続行ならば奨学金はしばらく停止、自己責任での渡航。中断ならこのまま手続きを行い、留年して五年間で卒業する予定を四年間にして半年分の遅れを取り戻す。このどちらかを選ぶことになりました。

このまま留学を続けてこれ以上卒業が遅くなったらどうしよう、戻って感染したらどうしようなど沢山の不安と、今のままの語学力じゃいやだ、友達と一緒にHSK(英語で言うTOEIC)に合格したい、1年やり通したいという自分の理想とで迷いましたが、私は留学を半年で終え、四年間で卒業することを選びました。もちろん沢山やりたいことはありましたが、それ以上に空白の時間を作りたくない、やらなければならないことがあるなと思ったからです。この選択を後悔しないよう今期のオンライン授業、インターン、就活に取り組んでいます。

 

留学中断したけれど・・・

まさか中国に帰れないとは思っていなかったので、年末はのんきに年越しパーティーを行っていました。保定での生活に慣れた私は日本人メンバーとケーキをデリバリーし、紅白歌合戦を見ながら年を越しました。

ルームメイトからはクリスマスと新年の記念で手帳をもらいました。部屋に粉チーズをばらまいたり、風邪で寝込んだりと沢山迷惑をかけたのに笑い飛ばしてくれるような本当に優しいルームメイトでした。日本人とキルギス人は国民性が似ているらしいのでもし出会うことがあれば話してみると面白いかもしれません!

▲デリバリーしたケーキ

▲もらったプレゼント

帰国の飛行機は深夜便だったので、最後日は北京で自由に行動しました。有名なタピオカCoCoであえてのタピオカ抜きを頼んだり、軍事博物館に行ってみたりしました。半年もいると地下鉄は自由に行き来できるし、自分の行きたい場所へ地図アプリを利用して向かったり、人に聞くことも出来るようになっていました。中国に来た直後は、自分の中国語が間違っていないかと不安でしたが、いつの間にか自信がついていたようです。

この自由行動の最後に天安門に行きました。歴史の教科書にも載っているし、現在の扱われ方が気になったためです。天安門に続く正面の道は、パスポートを提示しないと通れないようになっていました。ここを過ぎるとほとんど外国人で、教科書でおなじみの天安門正面の写真を撮っていました。中に進むと中国人の方も居ましたが、私が行ったときは外国の観光客ばかりでした。修学旅行で京都に行ったら外国人観光客の方が多いなと思ったことはありませんか。まさにその現象でした。写真では天安門しか写っていないのでどんな景観か創造できないと思いますが、天安門の周りには高いビルが多く建ち並びここだけ時代が取り残されているようでした。

▲当日の天安門

 

総括

残念ながら途中で終わることになってしまった中国留学でしたが、やりたいことが出来たという面では自分にとって大きかったと思います。目標実現のために必要なこと、やらなければいけないことは何かを考え、努力した1年半の準備期間で沢山人に褒められるようになりましたし、自分に自信を持つことが出来ました。また、出来ないことは沢山の人に助けてもらいました。両親、大学の職員さん、インターン先の方々、友人とこんなに人とのつながりを大切に思ったことはありません。その恩を返すつもりで現在はインターンやボランティアなどを行い、福島県外でめまぐるしい毎日を送っていますが、なんとかなるだろうと生きています。

もしこれから留学を検討していたり、日本に留学中で不安を抱えている留学生がいれば教えてもらえると嬉しいです。自分が出来ることは小さいけれど、力になりたいと思います。